【世界の見え方が変わる】「カラマーゾフの兄弟」の魅力と凄さを全力でご紹介【人類文学最高傑作】

文学・小説

「人類文学最高傑作」とも称される、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟

ジャンル問わず、後世のあらゆる作家や思想家、学者に至るまでに多大な影響を与えている名作です。

「死ぬまでに読むべき本」の筆頭ともされる一冊ですが、この作品いかんせん難しいんですよね…

というのも、2000ページ近くにも及ぶ話の長さやロシア文学特有の登場人物の多さに呼称の複雑さ、冗長な語りに加えて、その内容がキリスト教の世界観を前提にしたゴリっゴリに哲学的な内容を含むから。

これには僕自身何度も挫折しました笑

それでもなんとか食らいついて一通り読み通しました(その時の達成感たるや…)

最初はただ「すげえ…」と漠然とした感想しか抱けませんでしたが、他の作品やあらゆる解説に聖書の内容なども踏まえながら5回は読む中で、この作品を少しずつ自分なりに体系化できてきました。

「読むと、世界の見え方が変わる」とも言われる代物ですが、たしかにこれは間違っていないと強く感じます。

そこで今回は、この「カラマーゾフの兄弟」の魅力と凄さを紹介していきたいと思います!

単純にミステリーや法廷バトルものとしても十分に面白いのですが、この作品の本質的な所である価値観や信仰に関しても踏み込んでいきます。

先に結論を述べておくと、以下の通り。

  • 「人間」の全てがある
  • 当時のロシア社会も描く
  • この世界の「光と闇」の極致
  • 価値観の壮絶な揺れ動きが描かれる
  • それでも信じるべきものとは

これらをなるべく簡潔に伝えられるよう全力を尽くそうと思うので、お付き合いいただければ幸いです。

それでは早速いきましょう!

(超ザックリ) 「カラマーゾフの兄弟」あらすじ

物語の舞台は19世紀中盤のロシア。

著しい科学の発展によりそれまでのキリスト教が絶対の世界観が揺らぎ、人々の多くはそれまでの価値観に疑問を抱くようになり、何を信じればよいのか定まっていない。

そんな中で地主階級に属するカラマーゾフ家の父フョードルが何者かによって殺された。

関係があると目されるのはその息子である三兄弟ドミートリイ、イワン、アレクセイと私生児と噂されるスメルジャコフ。

果たしてフョードル殺害の犯人とその真相はいかなるものなのか。

これが当時のロシアの宗教や社会的な実情、はたまた人間の欲望や恨み、他者への愛情など、非常に多くの要素が絡められながら次第に明らかにされていきます。

主要な登場人物

この作品を理解する上でしっかりと押さえておきたいのが、それぞれの登場人物たちです。

それぞれが何らかのテーマを背負わされています。

各々の抱えるものに加えて、それぞれのキャラクターを踏まえることで格段に物語を読み進めやすくなること間違いなし。

またこの作品の伝えようとしている「核」のようなものを理解する助けにもなります。

(逆に登場人物が異様に多いこの作品ですが、まずはこの9人の動向を追えばとりあえずOKです笑)

以下ではそんな主要な登場人物について見ていきましょう。

父フョードル

一言で表すと「人間のクズ親父」

金と女と酒が大好きで、他は何も信じられず、基本何をするにも自分さえ良ければいいという考えの持ち主。

しかし一代で今の地位を築いたというだけあって、頭が回る一面があるというのが食えない所。

彼の中にある要素が、息子たちそれぞれに色濃く受け継がれているのも注目ポイントです。

当の本人は人間のどうしようもなく嫌な部分をそのまま具現化したようなキャラクターで、最後の最後まで救いようがなく描かれるのが印象的。

作中の言葉を借りるなら「こんな男がなぜ生きているんだ!」

長男ドミートリイ

一言で表すと「まっすぐな男」

自らの感情や本能に忠実なところを見せながらも、その心の奥にはどこか純粋な美しさを宿す長男ドミートリイ。

周りのものに影響を受けやすく、はじめは父と同じように堕落し酒と女に溺れたような生活を送っています。

挙げ句の果てには父と同じ女性を奪い合い、家族で互いが互いを憎み合うというなかなかの地獄絵図を演じてくれます。

しかしそんな自らの自堕落な点を認め、自分で自分を「卑劣」だと打ち明けるような憎めなさを持っているのも事実。

そんなドミートリイが事件を機に卑劣漢から高潔な真人間へと変わっていくのも印象的です。その様子はさながら「第二の主人公」

大きな葛藤に苦しみながらも彼の内面が変化していく様子を追っていくのも、この作品の大きな見どころの一つです。

次男イワン

一言で表すと「冷徹なインテリ」

首都モスクワの大学に通うほどに頭が良く、極めて理知的な性格の次男イワン。本作の超重要キャラクターです。

インテリであるが故に早くからキリスト教中心の価値観に疑問を抱き、その反動から己の理性や客観的な科学に絶対的な信頼を寄せて無神論を掲げるようになります。

「不死がなければ善行もない」「神がいなければ全ては許される」

これらの言葉が、彼の立場をとてもよく表しています。

しかし科学や理性に傾倒してキリスト教を見限るがゆえ、逆に今度は何を心の拠り所とすれば良いのかという葛藤に苦しむことにもなるキャラクター。

また読み進める中でただ冷たいだけでなく、内なる優しさも秘めているということもわかってきます。

こうした点からも、ある意味作中で一番救われない存在と言えるかもしれません。

三男アレクセイ

一言で表すと「純粋無垢なキリシタン」

ひと癖も二癖もあるようなカラマーゾフ家の人間の中で、一人ものすごくピュアな内面を持つ本作の主人公アレクセイ。

どんな人に対しても「善」を見出す純粋さから、もれなく登場人物の一同から好かれています。しかしそれ故に面倒なことに巻き込まれてしまうこともしばしば。

科学の発展によりキリスト教への疑念が強まる中、それでもなお神の存在を心から信じる若い世代の象徴的なキャラクターです。

「民衆とキリスト教を繋ぐ者」という、とても大切な存在として描かれます。

価値観の変化に伴い人々が精神的に困窮することが予測される中で、ドストエフスキーが彼に一縷の希望を託しているということが読んでいてとても感じられます。

私生児スメルジャコフ

一言で表すと「謎多き召使い

無口でどこか掴みどころがなく、ミステリアスな雰囲気を持つ男スメルジャコフ。

彼を病弱で知能薄弱、小心な臆病者と見る人もいれば、一方で外国被れの自国嫌いで恨みや野心に満ちた存在と見られることもあるようなキャラクターです。

フョードルやドミートリイからはぞんざいな扱いを受けることも多く、少しかわいそうな場面もしばしば。

そんな彼にはイワンと同じように理知的で無心論者的なところもあります。

最後までよくわからないという印象が強い彼が、物語をどのように引っ掻き回していくのかという点にも注目です。

長老ゾシマ

一言で表すと「絶対的信奉者」

壮絶な過去をきっかけに、キリスト教に自ら入信することになったゾシマ長老。

「質実剛健」を形にしたような人物で、アレクセイの師として彼の大きな心の拠り所となっている聖者のような存在です。

神と神が造ったこの世界を心から信じています。

またただ単に信じるだけでなく、信仰やその根底にある精神について独自の哲学を持っているのも特徴的。

その主張からは、キリスト教が内包する精神性の奥深さに気づくことができます。

グルーシェニカ

一言で表すと「典型的な悪い女」

娼婦まがいのことを行っていると噂されながらも、フョードルとドミートリイ両者からの寵愛を受けるグルーシェニカ。

曲線的で美しい(俗に言うエロい)体を持ち、どっちつかずの思わせぶりな態度を取ることからも男ウケが抜群に良い妖艶な女性です。

それを良いことに男を誘惑して弄び、金銭的な施しなどをほしいままにする小悪魔的な一面も。

しかしそうなったのも、彼女の苦しい過去や精神的な未熟さゆえであったということも後にわかってきます。

事件後ドミートリイの愛に気づき、共に心変わりしていく様が印象的。物語を通じての彼女の内面の変化にも注目です。

カテリーナ

一言で表すと「誇りを奪われし女」

良い家柄の生まれで、高貴かつ上品な美人といった印象の強いカテリーナ。

しかし父の借金の肩代わりとしてドミートリイの嫁に出向いたという壮絶な過去から、自尊心を深く傷つけられることになります。

そんな自己犠牲の暗い過去を正当化するためにも、自分の振る舞いは「善行」であると自らを納得させて生きる様子が印象的。

しかしそんな自分への無理な要求もたたってか、今度は弟イワンへの愛情という自らの本当の気持ちとの間でもがき苦しむことになります。

自らを責める負の感情とそれを正当化しようとする思い。はたまたそれらを排した自らの本心というものに揺れ動かされるという大きな葛藤を抱える人物です。

イリューシャ

一言で表すと「心優しい貧しき少年

貧しい家庭に生まれ、病弱ながらも家族思いでとても優しい心の持ち主であるイリューシャ。

一見地味ですが、作品においてとても重要な位置にあるキャラクターです。

金は持ちながら自分勝手で実の息子すらも意に介しないフョードルとは対照的な存在として描かれます。

決して恵まれない環境の中でも、自分のこと以上に家族のことを想う健気な様子には心動かされます。

この作品における「純粋さ」や「家族の大切さ」というテーマを、そのか弱い背中に一心に請け負っているような少年です。

(強いて言うならもう一人、同世代のコーリャという少年も押さえたいところ。革命思想や無神論を担っています)

 

と、ここまで登場人物を見てきたところで以下では「カラマーゾフの兄弟」の具体的な魅力と凄さを紹介していきたいと思います。

ここからは若干のネタバレを含むので、全部イチから自分で読みたいという猛者の方は閲覧注意です!

 

「カラマーゾフの兄弟」の魅力

「人間」の全てがある

「魂のリアリズム」とも称される、ドストエフスキーによる登場人物の内面描写。そこからは「人間」というものをこれでもかというほど感じることができます。

他者への情熱的な愛や殺意を抱くほどの憎しみや怒り、欺瞞に駆られる者。酒や女に溺れる男。またそんな男を弄ぶ女。

ひたすらに権力や肩書き、富や名声を得ようとする者。海外の学術的知識を探究する者。そしてそれらを持たない人々を見下す者。

富者への憧れと嫉妬を抱く者。「不幸な自分」が一番かわいい者。「本音と建前」に苦しむ者。自分より圧倒的な存在を信じる者。それを小馬鹿にする者。

などなど、この作品にはいろいろな人物が出てきます。

そんな人たちの様子を追っていると、共感するところも多々あり、今の私たちもこの頃からあまり変わっていないことにも気付けます。

しかもそれらの内面がストーリーはもちろん、殺人の動機になったり、裁判の行方をも左右する要素として物語に組み込まれているのが凄い所。

そんな描写を読んでいると「人間」についての理解が深まり、なんだか現実世界の人々を一歩俯瞰して見れるようにもなれます。

当時のロシア社会も描く

「人間」にとどまらず「社会」についても、ドストエフスキー独自の視点から詳細に描かれます。

農奴解放など改革後の民衆の混乱と貴族への羨望や妬み。当時の大きな問題であった貧困や育児放棄。

そして西洋からのプレッシャーや国内での科学と自由主義の台頭、それに対する排外主義やナショナリズムの気運の高まり。

社会主義思想、無政府主義などの革新的な考えの出現に加えて、キリスト教内での分裂、政治における国家と教会の関係。

などなど、政治や思想も含めた社会全体の様子が克明に描写されます。

これらの社会状況や体制の歪みのようなものが物語の展開に大きく影響を与えているのも見逃せない所。

「名作」と言われる文学作品にはこうした歴史的要素が色濃く含まれたりしますが、この作品も例に漏れずその点でとても優れています。

司法制度への提言

ドストエフスキーの一つのテーマとも言える「罪とは何か」に関する部分は、陪審制など当時の法制度、ひいては政治体制の欠陥も挙げながら特に詳細に語られます。

取るに足らないことへのこだわりや個人的な信念、人の知覚には不可避な誤解や気まぐれな性質などに代表される人間の不合理さ。またどうしても裁く側の恣意的な意図が入ること。

こうしたことから「個別の事実」や明快な論理よりも、感情や偏見といった人間の本能的な部分による判決(「全体の総和」)が優先されてしまう。

そのため法律で罪を正当に裁くのはとても難しいということが描かれます。

実際、作中でもドミートリイは無実の罪を受け、イワンも罪の意識で精神を病むことになります。

「罪を償うには法による罰ではなく、心からの改心を促す救済の措置が必要不可欠」

そんなある種の理想は「罪と罰」でも描かれますが、この作品でも司法に対するドストエフスキーの主張が示されます。

この世界の「光と闇」の極致

この作品では世界における悍ましさと美しさの両方が描かれるのですが、その対比が凄まじいです。

「闇」の部分では、金と女を巡って親子で殴り合ったり、知的障害を持つ女が犯されたり、貧困の過酷な状況や殺戮、児童や動物への虐待といった人間の残虐非道な行いなど、読んでいて苦しくなるような描写が刻々と描かれます。

しかし「闇の中でこそ光は輝く」という言葉もあるように、これらがあるからこそ人間と世界の美しさが際立つのも事実。

アレクセイやゾシマ長老に事件後のドミートリイなどは信仰に基づいて全てを許し、身近な人の優しさに感謝しながら、この世の全てを愛するような人間の純粋で善良な部分を感じさせます。

そして透き通るほど綺麗な心を持った動物たちや毎日の青空、木の葉の一枚一枚に至るまで、この世界の美しさをこれでもかというほど感じられる描写も印象的。

また裁判でも同じ一人の人間を一方でとても好意的に、一方で悪意に満ちたように描かれているのも見事です。

特にゾシマ長老の過去やラストシーンを読んでいる際には、この世界の「光」に気づくことができ、なんだか内面から生まれ変わったような感覚をも味わうことができます。

その後はまさに目に映る世界の見え方が変わります。

価値観の壮絶な揺れ動きが描かれる

物語の舞台は19世紀中盤。

「宗教」から「科学」という、人類史上類を見ないほどに大きな価値観の変動があった時期です。

そこでの人々の内面の揺れ動きが描かれます。近代的な科学思想が隆盛する中、宗教の機能不全が疑われる中では一体何を信じればいいのか。

ここの役割を一身に担っているのが、キーパーソンである次男イワン。

彼は神と神が作ったこの世界に絶望して「全てが許される」と考えた上、あくまで個人を礎とした「人神思想」へと突き進みます。

その一方でどんどん孤独になっていき、本当に自分は救われるのかという自己矛盾を孕んだ内面の葛藤に大いに苦しむ姿が印象的。

この部分は自らの理論を曲解したスメルジャコフとのやりとりや、有名な「大審問官」とイワンの「悪夢」の章で特に深掘られていきます。

これらは難解といわれる「カラマーゾフの兄弟」の中でも特に難しい「難解 of 難解」の箇所。読んでいるだけで脳が捻れるような感覚に陥ります。

しかしここは人類の価値観の遷移を理解する上でとても重要な部分なので、ぜひ気合で食らいついていただきたいです。

それでも信じるべきものとは

一連の騒動の中、「宗教」のゾシマ長老と「科学」のイワンの両方が倒れた後に、人々は何を心の拠り所とするのか。

最後の最後でここまでひたすら良いやつだったアレクセイの存在が効いてきます。

人間の動物的本能に従うでもなく、神秘的な宗教を盲信するでもなく、合理的な科学を絶対視するでもない、

ある程度の理性と「人類愛」の統合。

つまり子供の頃のような純真で善良な心を持ちながら、身分を超えてかつては憎み合っていた者同士も互いを許し合う。

そして海外の学問や思想で頭でっかちになるのでなく、目の前の幸せや土地、人々にしっかりと目を向ける。また富める者は慈悲の心を持って社会的弱者をしっかりと助ける。

こうした小規模なところでは家族や友人も含めた「全人類の統一」を目指しながら、自然や動物を含めた美しい世界との繋がりの中で生きていく。

そんな「生命」全体への信仰

ここにドストエフスキー哲学の集大成が展開されます。

この考えを体現しているのがイリューシャ。冒頭の「一粒の麦」の一説は、生前の行いから死してなおアレクセイたちの心の中で「永遠の命」を獲得した彼(やゾシマ長老)を表していることにも気づけます。

ラストに至るまで本当に様々な動乱がありながらも、最後には物語の全てを引き受けた上で、圧倒的な救いへと導いてくれる様には畏怖の念すら覚えるほど。

そんなエピローグのラストシーンを読んでいる際は、これから生きていく上での一つの大きな心の拠り所をもらったような気持ちにすらなれます。

(ここだけ聞いただけでは「?」だと思うので、ぜひ実際に本書を読んでいただきたいです笑)

まとめ

今回は「カラマーゾフの兄弟」の魅力と凄さを紹介してきました!

文学作品でありながら社会小説でもあり、宗教の要素や哲学的な要素も含みながら、エンタメ作品としても面白いこの作品。

そして世界の見え方を大きく変えてくれるような力すらもある、まさに「人類文学最高傑作」と呼ぶに相応しい代物です。

読む度に一人の人間がこれを生み出したという事実のとてつもなさを感じさせられます。

僕自身、20代前半という比較的若い時期にこの作品に出会えたことを本当に幸運に思います。

エピローグのラストを読み終えた時には言葉にならない感動と今後の人生に大きな影響を与えうる体験ができるので、まだの方はぜひ一度実際に読んでいただければと思います。

「カラマーゾフ万歳!」

この記事が、皆さんが「カラマーゾフの兄弟」の理解をより一層深め、実際にこの作品から大きな感動を味わう一つのきっかけとなれば幸いです!

 

(訳がたくさんある「カラマーゾフの兄弟」 一応その難しさ順に並べてみたので、選ぶ際の参考にしていただければと思います)

「漫画版」 全体像を掴みたい時に!

一番新しい「亀山版」 最も平易な訳で読みやすいので、あまり文学に馴染みがない方におすすめ。

一番オーソドックスな「原版」 僕もはじめはこれで読みました。

一番クラシカルな「米川版」 より重厚な雰囲気を楽しみたい上級者向け。