【前へ進むことを肯定してくれる曲】「サンタマリア」の歌詞の意味を解釈【米津玄師】

音楽

米津玄師さんのメジャーデビューシングルとなった「サンタマリア」

「サンタマリア」とはキリストの母マリアのことで「聖母マリア」と言われたりもします。

非常に洗練された美しい曲という印象の一曲なのですが、その歌詞は抽象的で、解釈が人によってさまざまに変わるという曲でもあります。

しかし歌詞を聞き込んでいくと、米津さんによりこの曲に込められた、ポジティブなメッセージが見えてきます。

今回は、そんな「サンタマリア」の歌詞を解釈し、そこに込められたメッセージを紐解いていきたいと思います。

それでは早速いきましょう!

結論

出典:YouTube

この曲は「サンタマリア」を「自分の本心や心からやりたいこと」に喩えた上で、
前に進んで行くことを肯定してくれている曲であると解釈できます。

ラブソングや病気で離ればなれになった2人のことを歌った曲であるという解釈もありますが、

米津さんがメジャーデビューという大きな転機にこの曲をリリースしたことも踏まえると、こう考えられるのではないかと思います。

ちなみに「サンタマリア」はキリスト教において「聖母マリア」とも言われ、全てを受け入れる慈悲や救いの象徴のような存在です。

以下では歌詞の詳細を深掘り、そこに込められた意味について見ていきたいと思います。

「サンタマリア」の歌詞の意味を解釈

1番Aメロ

掌をふたつ 重ねたあいだ
一枚の硝子で隔てられていた
ここは面会室 あなたと僕は
決してひとつになりあえないそのままで
話をしている

米津さんの曲では冒頭に情景描写が描かれることが多いです。これにより一気に曲の世界観に引き込んでくれます。

この曲では、一枚のガラス越しに「僕」と「あなた」の二人が向かい合い、お互いの手を合わせながら会話をしている場面が描かれます。

「あなた」とは曲名の「サンタマリア」のことです。

これだけでは何が何だかわからないので、続きを見ていきましょう。

1番Bメロ

今呪いにかけられたままふたりで
いくつも嘘をついて歩いていくのだろうか
しとやかに重たい沈黙と優しさが
見開いた目と その目を繋いでいた
あなたは少し笑った

将来を心配し、不安になっている「僕」を「あなた」は受け止め、肯定してくれます。

「呪い」とは世間一般の考えや望む未来の障害となるものを表したものでしょう。

「僕」はそれらに従い、すなわち自分に嘘をついたまま生き、自分の本心や心からやりたいことに目を背けて生きるべきなのかと不安になっています。

そんな「僕」を「サンタマリア」は優しく見守って、笑いかけてくれます。

まるでネガティブになりかけている「僕」の心情を理解した上で、全てを受け入れて肯定してくれるかのように。

そして曲はサビへと続いていきます。

1番サビ

サンタマリア 何も言わないさ
惑うだけの言葉で満たすくらいならば
様々な幸せを砕いて 祈り疲れ
漸くあなたに 会えたのだから
一緒にいこう あの光の方へ
手をつなごう 意味なんか無くたって

自分の本心に従うことを決めたのなら、あとは無駄な言葉は不要です。

後になってあれこれ考えてしまうと迷いが生じ、せっかくの決心も揺らいでしまうことになるでしょう。

「僕」は自分の本心を叶えるために、世間一般の「幸せ」を捨てて、ひたすら頑張ってきたのでしょう。その結果としてようやく「サンタマリア」にたどり着いたのです。

そして「僕」は自らの本心に従って、自分にとって光り輝く未来へと進んで行くことを決めます。

たとえそれが世間的には「意味のない」くだらない選択であったとしても。

MVでは、「僕」と「サンタマリア」が1つに繋がっている様子がとても印象的です。

2番Aメロ

いつか紺碧の 仙人掌が咲いて
一枚の硝子は崩れるだろうさ
信じようじゃないか どんな明日でも
重ねた手と手が触れ合うその日を
呪いが解けるのを

「紺碧のサボテン」とは現状を打破してくれる奇跡のようなことを喩えたものでしょう。
ここでは読み取りにくいですが、後にその意味が明らかになります。

サボテンにより二人を隔てていたガラスが無くなるということがわかります。

この段階では「僕」は奇跡のようなことが起きることで、現状が好転し、前に進めるようになることをただ祈るという選択をしたことが読み取れます。

2番Bメロ

今この間にあなたがいなくなったら
悲しさや恐ろしさも消えてしまうのだろうか
昏い午後の道端で探しまわった
呪いを解かす その小さなナイフを
汚れることのない歌を

「あなた」=「サンタマリア」すなわち「自分の本心や心から目指すもの」を追うことには、どうしても悲しさや恐ろしさが付いてきます。

後半では、将来の不安や周りからの非難などを消してくれるような何かを「僕」が必死に探し回る様子が描かれます。

ここでもまだ「僕」は自分の外側に救いを求めている様子が読み取れます。

そして曲はサビへと続いていきます。

2番サビ

サンタマリア 全て正しいさ
どんな日々も過去も未来も間違いさえも
その目には金色の朝日が 映り揺れる
点滴のように 涙を落とす
その瞳が いつだってあなたなら
落ち込んだ 泥濘の中だって

自分の本心に従って心からやりたいことができるのであれば、

それまでの過去やがんばっている現在、その先の未来は全て「正しい」ということができるでしょう。

自らの素直な気持ちに従い、心からの目標を追いかけられれば、

たとえ泥の中を行くような苦しく辛い状況に遭ったとしても、前を向いて進み続けることができます。

時にその目標は、点滴のように「僕」を癒してもくれるでしょう。

自分の気持ちに従って、前進していく大切さを感じることができるような歌詞になっています。

Cメロ

ここは面会室 仙人掌は未だ咲かない 硝子は崩れない
そんな中で一本の蝋燭が 確かに灯り続ける
あなたを見つめ あなたに見つめられ
信じることを やめられないように

場面は再び面会室へと移り変わります。

しかし未だにサボテンは咲かず、ガラスはそのまま残っている。
すなわち、まだ奇跡は起こらず、現状を打破することができていない様子が読み取れます。

しかし「そんな中で一本のロウソクが確かに灯り続ける」

この「ロウソク」は「サボテン」との対比で考えると、「自分の内にあって揺らぐことのない決意や思い」といったものを表したものであると考えられます。

奇跡のような都合の良いことを外に期待するのではなく、自らの中にある確かなものを信じて、前へと進むことを再度決意し直した「僕」の心情を読み取ることができます。

ラスサビ

サンタマリア 何も言わないさ
惑うだけの言葉で満たすくらいならば
様々な幸せを砕いて 祈り疲れ
漸くあなたに 会えたのだから
一緒にいこう あの光の方へ
手をつなごう 意味なんか無くたって

サンタマリア 闇を背負いながら
一緒にいこう あの光の方へ

最後は1番のサビが繰り返された上で

「サンタマリア 闇を背負いながら 一緒にいこう あの光の方へ」

の一節が追加されています。

この歌詞からは、将来への不安や周りからの非難などを受け止めた上で、それでもなお自分が望む理想の未来へと進む意思を確認する「僕」の心情が読み取れます。

こうしてとても希望に満ちた形でこの曲は締めくくられます。

まとめ

今回は米津玄師さんの「サンタマリア」の歌詞を解釈し、そこに秘められた物語とメッセージを紐解いてきました。

「僕」と「サンタマリア」のやりとりから、自分の本心に従って前に進んで行くことを肯定してくれるようなメッセージを感じることができる一曲でした。

夢や目標に向かってがんばる中で、不安を感じたり、批判を浴びた時に聞きたくなるような一曲です。

今回の記事が、皆さんの「サンタマリア」という曲の理解を深め、そこに込められたメッセージを考えるきっかけや手助けとなれば、幸いです。